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宗教思想

二宮尊徳 神、儒、仏を合わせた現実主義的思想。 対象を凝視しながら対象にとらわれない思考。 夫れ人道は譬えば、水車の如し。其の形半分は水流に順(したが)ひ、半分は水流に逆ふて輪廻す、丸に水中に入れば廻らずして流るべし。又水を離るれば廻ることあるべからず。 天理に順ひて種を薪き、天理に逆ふて草を取り、欲に随(したがひ)て家業を励み、欲を制して義務を思ふべきなり。 福住正兄、『二宮翁夜話』、江戸末期、福住正兄は二宮尊徳の門人 セルバンテス 天国にいきてえからとか、地獄に落ちるのが怖いからとかでなく、ただ神様が神様だからちゅうことで。まあ、できればおら、愛して仕えたら、なにかお恵み頂戴してえと思うけんど。 ミゲル・デ・セルバンテス、ドン・キホーテ、前篇、第31章、1605 セルバンテス全集(2)ドン・キホーテ 前篇、岡村一訳、2017年2月、水声社、400頁より

栄誉とは、名誉と褒章

勝者にはただ栄誉だけが与えられるのだろうか。栄誉には葡萄酒、羊、金銀の報奨が伴うのは最もであろうか。 どんなに槍が投げられても、どれだけ剣捌きが見事でも、そいつを抵当(かた)に居酒屋で酒の一杯も飲めるわけでねえ。(ドン・キホーテ、第20章、202頁) 愛の最大の破壊者は空腹であり、抜け出せない貧乏暮らしだ。(ドン・キホーテ、第22章、222頁)

人間の善意とは

持っている食い物をわけてくれろと頼むかと思えば力ずくでとりあげなさることもあるだ。ちゅうのも、おかしくなったときは、進んで食い物差し出されてもおとなしく受けとらねえで、わざわざ殴ってとっちまうけんど、正気のときには頭下げて礼儀正しく丁寧に頼んで、受け取ると何度も例を言って涙まで流しなさるだ。  実を言えば、旦那方(と、山羊飼いは続けた)きのう、おらとほかの山羊飼え四人のあいだで、二人使っているやつであとの二人は友達だけんど、話がまとまっただよ、なにがなんでも探し出すべえと。見つけ出したら、首に縄つけてでもここから八レグアばかりのところにあるアルモドーバルの町へ連れていって、そこでおのおつむの病気、治せるものなら治してあげてえだ。 ミゲル・デ・セルバンテス、ドン・キホーテ、前篇、第23章、1605 セルバンテス全集(2)ドン・キホーテ 前篇、岡村一訳、2017年2月、水声社、280頁より