言葉のメモ
しかし、著述を仕事としなかった、絶対的に多数を占める生活人に、最後の言葉といふものはあるのだろうか。表現としてはなくても、それはある、と私は思つてゐる。
桶谷秀昭、日本人の遺訓(文集新書465)、平成18年(2006年)、15頁
死は空虚ではなく、様々な生の無際限な現存なのだ。死によって生はその形をあたえられる。
武満徹、音楽を呼びさますもの、昭和六十年
粟津則雄、日本人のことば(集英社新書0411F)、2007、105頁より
I catch a paper boy
But things don't really change
I'm standing in the wind
But I never wave bye-bye
(中略)
Never gonna fall for (Modern Love)
(中略)
(Church on Time) put my trust in God and Man
(中略)
(God and Man) don't believe in Modern Love
David Bowie (vo, writer), Modern Love, from Let's Dance, 1983
デヴィッド・ボウイ、モダン・ラヴ(レッツ・ダンスより)、1983
俺とお前は違う人間に決まってるじゃねえか。早え話が、お前がイモ食ったって、俺のケツから屁が出るか
映画「男はつらいよ」、脚本(山田洋次、森崎東)、昭和四十四年八月(1969年8月)
和田誠、お楽しみはこれからだ 映画の名セリフ PART 2、文藝春秋、1976
谷沢永一、百言百話(中公新書 754)、中央公論社、1985、2頁より
言葉のない世界を発見するのだ 言葉をつかって
真昼の球体を 正午の詩を
おれは垂直的人間
おれは水平的人間にとどまるわけにはいかない
田村隆一、第二歌集「言葉のない世界」、昭和三十七年、『言葉のない世界』より
・「水平的人間」とは戦後時を経るとともにその強さを増す日常の水平の流れに押し出される人びとを指す。
粟津則雄、日本人のことば(集英社新書0411F)、2007、123頁より
煖炉ぬくし何を言ひだすかもしれぬ
桂信子
粟津則雄、日本人のことば(集英社新書0411F)、2007、168頁より
ごさかんで
(折口信夫が中野重治に言った言葉。)
中野重治、折口信夫さんについて、昭和二十七年
谷沢永一、日本人を創った百語百読(PHP新書182)、PHP研究所、2001、200頁より
たとえば霧や
あらゆる階段の足音のなかから、 ※足はあしへん
遺言執行人が、ぼんやりと姿を現す。
ーーこれがすべての始まりである。
鮎川信夫、雑誌「純粋詩」、昭和二十二年、二月、『死んだ男』より
これやこの一期(いちご)のいのち炎立(ほむらだ)ちせよと迫りし吾妹(わぎも)よ吾妹
吉野秀雄、雑誌「創元」創刊号、短歌百余章、昭和二十二年一月、小林秀雄編集
吉野秀雄、歌集「寒蝉集」、昭和二十二年
粟津則雄、日本人のことば(集英社新書0411F)、2007、112頁より
さらば祖国よ 栄えあれ
野村俊夫作詞、古関裕而作曲「暁に祈る」二番、昭和十五年五月
谷沢永一、日本人を創った百語百読(PHP新書182)、PHP研究所、2001、178頁より
おまえはおまえの道を行け、おれたちはおれたちの道を行く
ドストエフスキー、死の家の記録、(抗議)
(囚人たちが食事の抗議に加わった際に「おまえなんかの来る所じゃない」と言われたあと、囚人ペトロフに「あなた方がわたしたちのどんな仲間なんです?」と問われ、ドストエフスキーが内省した場面。)
天国にいきてえからとか、地獄に落ちるのが怖いからとかでなく、ただ神様が神様だからちゅうことで。まあ、できればおら、愛して仕えたら、なにかお恵み頂戴してえと思うけんど。ミゲル・デ・セルバンテス、ドン・キホーテ、前篇、第31章、1605
セルバンテス全集(2)ドン・キホーテ 前篇、岡村一訳、2017年2月、水声社、400頁より
ところが、かわりに不幸でもあらゆる面で比類がなかったのです。恋焦がれて嫌われ、崇めて疎まれた。猛獣に懇願し、石像に取り縋り、風を追って駆け、無人の野に叫び、忘恩に仕え、あげく得た報酬と言えば、人生の道半ばにして死神の餌食となること。
Quiso bien, fue aborrecido; adoró, fue desdeñado; rogó a una fiera, importunó a un mármol, corrió tras el viento, dio voces a la soledad, sirvió a la ingratitud, de quien alcanzó por premio ser despojos de la muerte en la mitad de la carrera de su vida, a la cual dio
ミゲル・デ・セルバンテス、ドン・キホーテ、前篇、第13章、1605
セルバンテス全集(2)ドン・キホーテ 前篇、岡村一訳、2017年2月、水声社、150頁より
ふりし雪も又ふれり。ちりし花も又さきて候き。無常ばかりまたもかえりきこへ候はざりけるか。あらうらめし/\。
日蓮、弘安四(1281)年十二月八日、上野殿母御前(ははごぜ)に書いた手紙より
・雪はあた降り花はまた咲くのに無常の命は戻らない
粟津則雄、日本人のことば(集英社新書0411F)、2007、145頁より
月冴ゆる氷のうえにあられ降り心くだくる玉川(たまがわ)のさと
藤原俊成、家集「長秋詠藻」所収、治承二(1176)
わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。
マルコによる福音書(新共同訳) 8:34
人もし我に從ひ來らんと思はば、己をすて、己が十字架を負ひて我に從へ。(マルコ傳福音書(文語訳) 8:34)
だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。(マルコによる福音書(口語訳) 8:34)
私について来たければ、自分自身の十字架を背負ってついてくればいいではないか(田川建三、宗教とな何か(上)宗教批判をめぐる、洋泉社、2006)
桶谷秀昭、日本人の遺訓(文集新書465)、平成18年(2006年)、15頁
死は空虚ではなく、様々な生の無際限な現存なのだ。死によって生はその形をあたえられる。
武満徹、音楽を呼びさますもの、昭和六十年
粟津則雄、日本人のことば(集英社新書0411F)、2007、105頁より
I catch a paper boy
But things don't really change
I'm standing in the wind
But I never wave bye-bye
(中略)
Never gonna fall for (Modern Love)
(中略)
(Church on Time) put my trust in God and Man
(中略)
(God and Man) don't believe in Modern Love
David Bowie (vo, writer), Modern Love, from Let's Dance, 1983
デヴィッド・ボウイ、モダン・ラヴ(レッツ・ダンスより)、1983
俺とお前は違う人間に決まってるじゃねえか。早え話が、お前がイモ食ったって、俺のケツから屁が出るか
映画「男はつらいよ」、脚本(山田洋次、森崎東)、昭和四十四年八月(1969年8月)
和田誠、お楽しみはこれからだ 映画の名セリフ PART 2、文藝春秋、1976
谷沢永一、百言百話(中公新書 754)、中央公論社、1985、2頁より
言葉のない世界を発見するのだ 言葉をつかって
真昼の球体を 正午の詩を
おれは垂直的人間
おれは水平的人間にとどまるわけにはいかない
田村隆一、第二歌集「言葉のない世界」、昭和三十七年、『言葉のない世界』より
・「水平的人間」とは戦後時を経るとともにその強さを増す日常の水平の流れに押し出される人びとを指す。
粟津則雄、日本人のことば(集英社新書0411F)、2007、123頁より
煖炉ぬくし何を言ひだすかもしれぬ
桂信子
粟津則雄、日本人のことば(集英社新書0411F)、2007、168頁より
(折口信夫が中野重治に言った言葉。)
中野重治、折口信夫さんについて、昭和二十七年
谷沢永一、日本人を創った百語百読(PHP新書182)、PHP研究所、2001、200頁より
たとえば霧や
あらゆる階段の足音のなかから、 ※足はあしへん
遺言執行人が、ぼんやりと姿を現す。
ーーこれがすべての始まりである。
鮎川信夫、雑誌「純粋詩」、昭和二十二年、二月、『死んだ男』より
これやこの一期(いちご)のいのち炎立(ほむらだ)ちせよと迫りし吾妹(わぎも)よ吾妹
吉野秀雄、雑誌「創元」創刊号、短歌百余章、昭和二十二年一月、小林秀雄編集
吉野秀雄、歌集「寒蝉集」、昭和二十二年
粟津則雄、日本人のことば(集英社新書0411F)、2007、112頁より
野村俊夫作詞、古関裕而作曲「暁に祈る」二番、昭和十五年五月
谷沢永一、日本人を創った百語百読(PHP新書182)、PHP研究所、2001、178頁より
おまえはおまえの道を行け、おれたちはおれたちの道を行く
ドストエフスキー、死の家の記録、(抗議)
(囚人たちが食事の抗議に加わった際に「おまえなんかの来る所じゃない」と言われたあと、囚人ペトロフに「あなた方がわたしたちのどんな仲間なんです?」と問われ、ドストエフスキーが内省した場面。)
天国にいきてえからとか、地獄に落ちるのが怖いからとかでなく、ただ神様が神様だからちゅうことで。まあ、できればおら、愛して仕えたら、なにかお恵み頂戴してえと思うけんど。ミゲル・デ・セルバンテス、ドン・キホーテ、前篇、第31章、1605
セルバンテス全集(2)ドン・キホーテ 前篇、岡村一訳、2017年2月、水声社、400頁より
ところが、かわりに不幸でもあらゆる面で比類がなかったのです。恋焦がれて嫌われ、崇めて疎まれた。猛獣に懇願し、石像に取り縋り、風を追って駆け、無人の野に叫び、忘恩に仕え、あげく得た報酬と言えば、人生の道半ばにして死神の餌食となること。
Quiso bien, fue aborrecido; adoró, fue desdeñado; rogó a una fiera, importunó a un mármol, corrió tras el viento, dio voces a la soledad, sirvió a la ingratitud, de quien alcanzó por premio ser despojos de la muerte en la mitad de la carrera de su vida, a la cual dio
ミゲル・デ・セルバンテス、ドン・キホーテ、前篇、第13章、1605
セルバンテス全集(2)ドン・キホーテ 前篇、岡村一訳、2017年2月、水声社、150頁より
ふりし雪も又ふれり。ちりし花も又さきて候き。無常ばかりまたもかえりきこへ候はざりけるか。あらうらめし/\。
日蓮、弘安四(1281)年十二月八日、上野殿母御前(ははごぜ)に書いた手紙より
・雪はあた降り花はまた咲くのに無常の命は戻らない
粟津則雄、日本人のことば(集英社新書0411F)、2007、145頁より
月冴ゆる氷のうえにあられ降り心くだくる玉川(たまがわ)のさと
藤原俊成、家集「長秋詠藻」所収、治承二(1176)
わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。
マルコによる福音書(新共同訳) 8:34
人もし我に從ひ來らんと思はば、己をすて、己が十字架を負ひて我に從へ。(マルコ傳福音書(文語訳) 8:34)
だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。(マルコによる福音書(口語訳) 8:34)
私について来たければ、自分自身の十字架を背負ってついてくればいいではないか(田川建三、宗教とな何か(上)宗教批判をめぐる、洋泉社、2006)
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